「空しさの上に立つ」 02.02.10
旧約聖書コヘレト12:1〜14、新約聖書ペトロT1:17〜21
自分の造り主なる神を覚え、その神を心に留めて生きられる人は、
とても幸せです。自分の造り主を心に留めることによって、自分の生涯が空しい、
無意味なものではないと信じることができるからです。
空しさは、私たち人間の中にはあふれています。そんな心の隙間を何とか
埋めようとして、目に見えるもの(富、力、物)を一生懸命に求める人がいます。
新約に登場するザアカイ(ルカ19章)もそうでした。
また、空しさを感じないように、一生懸命楽しもうとする人もいます。
しかし、そのような人たちの心が満たされているかといえば、そうでもないのです。
箴言(しんげん)では、人間の空しさが語られます。
3節以下には、繁栄していた家の衰退や、高齢による体の衰えが描かれています。
満たされようとして手に入れたものは衰退し、どんなに活躍していた肉体も
衰えます。
そして、最後はチリに帰ってします。すべてはなくなる。「すべては空しい」と
語るのです。だからこそ「造り主を覚え、心に留めなさい」と御言葉は、
私たちに命じるのです。
創世記1章では、混沌に神の言葉が向けられて、そこに「良し」と言われるものが
生まれます。また、神はお造りになった人を祝福されました。
神は空しいものではなく、良いものとして私たちを造って下さいました。
空しいものではないからこそ、祝福してくださいました。
良いものとして造られ、祝福されて命を与えられた私たちは、無意味な存在では
ありえません。私たちは、この神を信じ、この神に心を向けるのです。
自分に空しさを感じたり、自分の生きる意味が分からなくなる時があります。
しかし、自分で分かろうが分からなかろうが、神が今日の命を与えてくださって
いるのであれば、そこに自分が存在する深い意味があるのです。
空しさを克服することは、空しさを抱える人間にはできません。
自分の造り主なる神を信じ、覚える時に、
どんな空しさの中でも立つことができます。
この神を知る私たちは、本当に幸せです。